M.さん
声掛けに応えることで精一杯だったが
リーダーシップを発揮する側に
起立性調節障害や人間関係が原因で不登校になって半年以上経ったある日、母から東京大志学園を紹介され、私自身も学習面の不安があったためとりあえず体験授業に行くことにした。実際行ってみたら予想以上に温かく、誰でも受け入れてくれるような雰囲気で、「ここなら本来の私を見つけられて人生変わるかも」と思った。そして勇気を出して外の世界へ飛び込み、東京大志学園に入会した。それが中学1年3学期の頃のことである。
当然入ったばかりは「馴染めるかな、嫌われないかな」などと人の目を気にした心配事ばかりで緊張しまくりだったが、そんな中先輩が声をかけに来て自己紹介をしてくれた。学年と名前だけの自己紹介を喋るのでも精一杯だったが、その反面「受け入れてくれてるんだ」という安心感に包まれた。その後も自分から声をかけることは難しかったが、周囲の人が積極的に話しかけてくれてだんだん馴染めるようになった。次第に友達も増え、日常生活もイベントも楽しめるようになった。
充実した日々はあっという間に過ぎ、私が中学3年生になった頃にはもう自分の長所や強みをなんとなく見つけることができていた。自分で言うのもなんだが、私はリーダーシップがあるためその後のイベントの話し合いで皆を引っ張る機会が多くあった。その度に自分のチャレンジ精神や行動力、判断力、冷静さを発揮しそんな自分を認めることができた。またそれと同時に、色々な意見を聞かせてもらうため人それぞれの感性や考え方などが存在することも学び、他人のことも認めることができた。
十人十色という言葉があるように、人それぞれ個性があり人の数だけ意見がある。私はそれを踏まえて、自他を比較しても仕方がないことを学んだ。それから自分らしさを貫き、自分らしく努力し、自分の限界を見据え目標を立てて結果を残した。
他人とは勉強方法や勉強時間も、環境も、大切にしている事ややりたい事も違うかもしれない。そのような“前提”が異なるものやはっきりしていないものとは比較不可能であるため、先程「比較しても仕方がない」と言った。
このような考えに至った原因としては、やはり東京大志学園での生活が大きい。人の目を気にして生きていた自分がこんなに大きく変わったのは素晴らしい事だと思う。気づけば、2年前に声をかけてくれた先輩のように自分もなれていた。あの時の安心感はどん底から救われるような感覚だったため、今までそれを他の子にできていたと思うと、私は知らず知らずのうちに人を救っているのではないかと思える。自分自身が苦しい経験をしたからこそ、周囲に親切になり、丁寧に相手を受け入れることができたと感じる。
そのような生徒が多い東京大志学園は、最高に明るく楽しい場所だった。卒業後は寂しい感じがするが、今までの思いを大切にこれからも自分らしく生きていきたいと思う。